池上堤方結社

池上堤方結社

池上堤方結社と御会式

池上堤方結社万灯保存会

御会式について

池上堤方結社万灯保存会
「誇れる八角万灯と近江絵 池上堤方結社」

池上新聞 昭和56年9月号 第36号

池上堤方結社万灯保存会は、旧堤方町の万灯結社として、戦災の病手にも消えぬ昭和二十六年に、平和を祈り又信仰心を深め、あわせ町内同好者の親睦を図るため復活発足しました。当時は本門寺の他に近在寺院のお会式には、二十ケ所以上も参詣したそうです。それだけに地元、妙雲寺の十月二十五日のお会式は、大変盛んだったそうです。現在、妙雲寺のお会式は十月十二日に変り、万灯参詣の行事も行われなくなって久しくなり、とても寂しい想いがいたします。

しかし堤方結社は今も盛んですが、それは近在に誇れる立派な万灯があるからかも知れません。五重塔型の白木造り、各層が八角八面(久保井氏考案)の変った形で、堤方全域の有志の寄付により、昭和二十六年に池上本町の横山氏や重田氏により制作された、大堂囲りの四十枚に及ぶ絵は、妙雲寺住職の故近江見譲師(日展会員)が半半年がかりで日蓮大聖人像や日蓮大聖人法難図が色彩の微妙な濃淡でこまかく描かれ、タテ、ヨコ十三センチの小さな枠の中にお題目の自我偈五百二十三文字が繊細に書かれています。

絵のすばらしさは八角五重の万灯の美しさをさらに引き立て、見る人が自然と合掌する深い魅力を有ります。またこの絵を描いた絹布は、伊東深水画伯と兄弟弟子であった、小早川氏からの寄贈だそうです。八角五重のお堂のむづかしさは大変なものです、形もそうですが普通の五重ノ塔と違い彫刻や、すべての部品が倍の数有り、雪洞(ぼんぼり)も三十カ所に有り、丸みのある形は戦後すぐの作品とは思えぬ、おだやかなものです。

「後生に変わりなく残す」

近年この雪洞や各層に百五十カ所もある明りが移動点滅が出来るように改良され一層、人の目を引き付けるものとなりました。又ともに纏も結社のシンボルです。昔、字堤方頃広範囲だった池上村の東地区にあり、戦前の消防団には池上東を表わす字を型どった纏があり、結社発足の時その纏と同じ型にして中に池堤と書いたそうです。最近は子供の纏も加わり独特の振りと、かわいらしさが見物の人達の注目を集めています。

発足当時からの方々、そして当時の苦労を知らない私達は今後も万灯参詣の行事と伝統文化の持続、かつ価値は表わせぬ八角万灯と近江絵を後生に変りなく残こす事が堤方結社万灯保存会(代表・加藤健一氏)の四十七名の会員とそのファミリーの定めです。花形の纏役も、笛・鉦・太鼓の三子役も、重さが四十キロ以上もある八面五重ノ塔を縁の下から支え持つ目立たぬ本当の力持ち役も、全員が万灯行列に参加出来る喜こびを笑と汗に表わしています。その明るい表情は八面の五重ノ塔を飾る桜の花を象った藤花のように。

吉田 隆次

御会式について

「御会式」とは

御会式は、日蓮宗の開祖である日蓮大聖人がお亡くなりになられた10月13日を中心に、日蓮大聖人の遺徳をしのぶ法要です。日蓮大聖人が御入滅された霊跡である池上本門寺御会式がもっとも盛大に行われます。

「万灯」とは

日蓮聖人が亡くなられた時、庭先の桜(お会式桜)が時ならぬ華を咲かせたという故事から、万灯は紙で作った造花で灯明輝く宝塔を飾っています。
その万灯を先導するのは、江戸の火消し衆が参拝する折りに始めた纏(まとい)。纏が賑やかに舞い、団扇太鼓と鉦と笛の軽快な音色と共に万灯は進んでゆきます。

お会式桜

日蓮大聖人がご入滅の折、庭先の桜が時ならぬ花を咲かせたと伝えられており、現在も旧暦10月(今の11月~12月)頃には、池上大坊 本行寺の境内の「お会式桜」と呼ばれる桜が花を咲かせます。

御会式彩る「音」

御会式の夜を賑わすリズムやメロディには、代表的なものが3つあります。いずれも俗称・俗名のため、地域によって呼ばれ方も若干異なりますが、行進の時は「ドンツク」で表現される賑やかな曲「源太(げんた)」と、「南無(なんぶ)」。お披露目が終わった後、帰るときには「梅枝(うめがえ)※別名ほたるこい」という静かな曲調になります。しかし、明確な決まりはありません。各講や団体ごとに、拍子の入れ方、笛の強弱のつけ方が違います。